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【黒歴史】残業・持ち帰り・パワハラ…体育会系ブラック保育園から惨めに逃げるように辞めた話まとめ【目次】

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■保育園に就職して潰された、そんな話

※もしあなたが、現在お勤めの保育園に満足しているなら、この先は読まないでくださいね

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今日もまた、日本のどこかの保育園で、一番優しくて誠実で真面目な保育士が、潰されています。
潰れるまで頑張ってしまうのは、それは本心から子どもが好きだからであって、あなたに否はなくって。
単純に、私(あつみ先生)もその一人です。

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多分、本当に子ども達が好きだったからこそ、
今でも不意に、思い出して一人でメソメソ、泣いてるんだよ…

真剣に子ども達に向き合ってる人こそ、きっと分かると思うんだけど
保育士になってから、最初に受け持った子ども達って、本当に特別でさ、
初恋みたいに、忘れられない感覚ってあるよね?

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私は、専門学校にて保育士資格を取得しました。
卒業後、民間保育園に就職します。

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最初は、そりゃ、とっても希望に満ち溢れていた。
念願だった保育園と言う場で、保育士として働ける。
それが嬉しくて、園のロゴが入ったポロシャツが、本当に誇りに思えました。

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世間一般のイメージでは…
給料が低いとか、キツイとか、いわゆる、「底辺の職業」という印象を持たれている「保育士」。

ですが、私は世間のイメージなんて、別になんとも思いませんでした。
そんな事よりも、保育士として子どもに関われる事が嬉しかったのです。

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その理由は…
実はあつみ先生は、保育士資格を取る前に、保育とは全く関係のない仕事をしていました。

あつみ先生は、保育士養成校だけでなく、大学も出ています。
芸大を卒業後、一般企業に就職しました。

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当時の仕事で、ある小学校への取材があったんですね。
そこで、子ども達と触れ合い、また保護者の話をきくことで、世の中の子育ての現状を見つめ直しました。

…その結果、保育士になりたくて退職。
専門学校に入り直して、ようやく念願の保育士になりました。

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一般企業に就職するまでの私は、人生に目的がなく、のらりくらりと生きてきました。
でも、保育士は初めて目的をもって目指した職業です。
自分でなりたいと思い、意義を見つけ出した仕事、それが保育士だったんです。

当然、仕事に対する思い入れも、意欲もとっても高くって。
4月、新しい保育園で、子ども達との関わりが全て新鮮で。

その時は、4歳児クラスの担任を受け持ちました。
本当に可愛くて大好きでした。

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私が就職したのは、母体はかなり大きな社会福祉法人。
広範囲に、幼稚園や保育園などを展開していました。
また、バリバリの体育会系の人間関係、縦社会で、理事長を崇め奉る独特の文化がありました。
(仏教系の保育園です)

カッチリとした園で、行事や取り組みも多く、カリキュラムも非常に多い。
習字、スイミング、サッカー、体育、英語、鼓笛…
とりあえず、習い事っぽい、やる事は全部やらせる、みたいな。

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[su_section image=”https://childcare-information.net/wp-content/uploads/2020/12/1786238_m.jpg” fullwidth=”no” max_width=”620″ border=”none”] [su_panel background=”rgba(0, 0, 0, 0.65)” color=”#ffffff” border=”none” shadow=”none”]

毎日の仕事は、日案を立てるというか、学校の時間割を立てる、という感覚。
子ども達も、急かされ、やらされ…
追い立てられるように、取り組みに必死でついてこようとしていました。

ついて来れない子は、職員間で、問題扱いされます。
クレームを出す保護者は、全員モンペ扱いをして、自分たちの正当性のみを主張し、悪口を言っていました。
今思えば、本当にひどい保育園です。

…が、当時の私にとっては、これが初めて勤めた保育園。
これが、普通であると、そう思っていました。

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夏祭り、運動会、造形展…
夏が過ぎ、秋が越え、冬が訪れ…
行事や活動、取り組み、書類や製作物…
どんどん仕事が増えて、忙殺されるという感覚を感じたのは、この保育園が初めてでした。

毎日、夜の9時~10時を過ぎてようやく主任より、退勤の許しが出ます。
出来なかった仕事は持ち帰り。
帰宅が12時過ぎた時は、何故か分からなかったけど、涙が止まらなくなりました。

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書類をはじめ、製作の準備は持って帰り、自宅で作業。
毎日、2時を過ぎてから眠る生活。

毎日、電車とバスを乗り継ぎながら、通勤。
ある意味、通勤時間だけが、仕事から解放される時間でした。
(バスの中でも日案とか反省とか書いてたんだけどね!)

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さらに、職員間での派閥争い、移り変わるイジメのターゲットへの集中攻撃などがありました。
また、体育会系・縦社会ならではの上下関係が非常に厳しいという状況。
この中で、園長・主任と仲の良い職員のみが許され、横暴を極めておりました。

それ以外の職員は、いいなりとなり、コキ使われ、養分となる運命をたどります。

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今思えば、完全に心は死にゆく途中でした。
ただ、子どもは本当に好きだったので、そこが支えになっていました。
それゆえ、自分の精神状態には、自覚が持てず…
しんどかったけど、子どもはホント好きで、可愛かった。

だから、どんなに辛くても…

「這ってでも通勤する!」

という気持ちでした。
仕事をこなせない自分が悪い、と思い込んでました。
これある意味、洗脳状態であった、と言えます。

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マジで、この時点で結構ギリギリだったんですが…
子どもが好きすぎて、自分の精神状態に気づきませんでした。

というか、あまりに痛みつけられて、自分の心がこれ以上ダメージを受けないようにするための自衛、自分で麻痺させて、痛みに気づかなかった、と形容したほうが適切です。

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なんとか、1年目を乗り越え…
2年目のある日の朝、目覚めても動けなくなりました。

とりあえずその日は、電話で休む連絡をしますが、
何日たっても仕事に行く事が出来ず、その連絡を繰り返す事になります。
電話をかける度に、ものすごく勇気が必要でした。

休んでいる途中で、もう仕事に行けない・復帰できないな、と気づきました。
する事がないと、不思議と冷静に自分の状況が客観視できました。

子どもの顔が頭の中を、浮かんでは消えを繰り返しつつ、自分を責め、園を責め、自宅に居てもしんどい状況でした。

電話も心理的に辛かったので、ケータイの電源を切り、手紙でやり取りします。
というか、手紙を開封するのも辛かったです。

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1ヶ月後、ようやくなんとか、体が動けるようになりました。
もう、仕事に戻る事は出来ない事を伝えて、職場に荷物を取りに行きました。
そこでは、主任が、呪いの言葉を浴びせてきました。

  • 先生と呼ばれる資格ないね
  • もうあなたは保育士はしないでください
  • この保育園でやっていけなかったらどこも務まらないし、どこの保育園に行っても一緒だよ
  • 残された子ども達はどうするの
  • 辞めるなら子ども達に挨拶せずに辞めてください
  • 別の仕事が向いてるんじゃない?

働かない頭で聞き流し、何も反論せずに、ひたすらうつむいていたのを覚えています。

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主任による長い拷問を耐え、用件だけを伝えて、解放されます。
その後、自分が使っていた机と、ロッカーまで自分の置いてある荷物を取りに行きました。

そしたら、自分が休んでる間に、何人か子どもが(保護者も)手紙書いてくれてたんです。

あつみせんせい
はやくげんきになってね
またいっしょにあそびたい
……

その場でボロボロと涙が止まらなくなりました。
大好きだった彼ら、彼女らに挨拶すらなく姿を消す事と、もう二度と出会う事はないだろうと、
それでも逃げ出す自分の情けなさと、ここまで自分を追いやった園を憎む気持ちと無力感。
目を真っ赤にして、二度と通らないであろう帰路を最後にたどりました。

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こんな私を、好いてくれる子もいた
特に懐いてくれた子がいた
もっと、別の場所で出会えていたなら…と何度も思いました

そっからまた、1ヶ月くらい涙枯れ果てるほど泣き続けました
というか、今でも思い出してマジで涙出てきます
記憶の中で、子ども達の声がまだ再生されて聞こえてきます

ああ…今頃○○年生か、と思うと切なくて胸が本当に痛くなります

ほんと、最初に担任を持った子ども達って、ものすごく特別な思い入れがあるんです。
それが、こんな形で、終わってしまったという後悔があります。

どれだけ子どもと信頼関係があっても、どれだけ子どもが好きでも、
保育士のメンタルをへし折り、叩き潰す文化が、ブラックな保育園には存在します。

なぜ、お互いこんな辛い思いをして、お互い不幸な結末になるのか…

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ブラック保育園ってのは、そもそも、その存在自体が、不幸しか生まない、害悪。

私は、大学を卒業してから、就職した仕事を辞めてまで、方向転換して保育士になりました。
そこまでして頑張って取得した保育士資格
そして、初めて勤めた保育園での、仕打ちがこれなのか…?

当時は、私だけが運悪く、不幸であったと思っておりました。
…が、こういった保育士の使い捨て・新人潰しって実は、児童福祉の業界では、当たり前のようにある惨状なんです。

そういう保育園がまだまだ多い、というか、殆どと言ってもいいです。
そうなってしまいやすい、業界構造そのものに欠陥があります。

今日もどこかで、夢・希望を持って保育園や幼稚園に勤めだした、新人保育士が居ます。
そして、今日もどこかで、それを叩き潰されて人生を棒に振る保育士さんがいます。
子どもが好きなのに、子どもに関わる事をやめてしまう保育士さんがいます。

不幸になるのは、当人だけではありません。
その結果、辛いを思いをする子ども達も、たくさんいるんだよ。

ちなみに、その後、私が行った転職活動の流れについては下記の記事で伝えています。

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■ブラック保育園を抜け出す方法

一人で、モヤモヤを抱えていても、マジで1ミリも状況は改善しないんです。
そうこうしているうちに、ブラックな一年間を、もう一回繰り返すことに…と思うと、ぞっとしませんか…?

私は、保育園を退職したあと、2ヶ月くらい引きこもって泣き続けて、
ようやく動けるようになってから、ハロワと、転職サイトを2つ登録して、同時並行で就職活動を進めました。
(今思えば、在職中からちゃんと登録して、良い保育園を探しておけばよかった…と思いますが…)

なんかねー、やっぱね、保育園以外の職場で働きたいとは思えなかったんです。
こんな辛い思いしてもね、結局現場に戻ってきちゃうんですよ…ホント

私が、転職活動の末、小規模保育園に転職して、持ち帰りも残業も無縁になった話は下記の記事でお伝えしています。

さて、ここまでで、私がブラック保育園でつぶされ、そして復活するまでをお伝えしてきました。
はっきり言って、恥ずべき黒歴史です。

…が、ほんと保育士さんに辛い思いしてほしくないんで、書きたくないんですが、伝えようと思いました…

とにもかくにも、一歩踏み出すまでが大変で勇気が必要ですが、
逆に一歩動けば、どんどんコトは進んでいきます。
止まってる状況を動かす一歩が、重いけど大事です。

■ブラック保育園を抜け出すための記事の目次

残業・持ち帰り仕事・休日出勤強要・パワハラ…
労働基準ガン無視の体育会系気質…そんなブラックな勤務体系の保育園に関する記事まとめです。

■保育士の現状を記録しておく事の大切さ

保育園という職場は、今でも昔の悪い気質が残っている施設が多いです。
なぜなら、保育園という職場は、非常に閉じた空間であるからです。

なかなか、外部からの勤務状況の改善の手が及びにくい、何が起こってるのか分かりにくいものがあります。

ただ、保育園に勤めているのは、あなたです。
あなたは、あなたの人生を大切に守って、人間らしい生活をする権利があります。

ブラックな保育園に、あなたの人生を、時間を奪われてほしくないのです。
なぜ私がこう考えているのかというと、保育って本当は、とても尊い、いい仕事だと考えているからです。

あなたが一番いきいきと働ける状況である事が、子どもにとって、一番いい状況だと考えているからです。
それが、子どもの最善の利益です。

私は実は、子どもが好きという理由で、保育士になったのではありません。
子どもと言う存在が尊くて、その家族みんなが、幸せになってほしいがゆえ、保育士になりました。
それでもやっぱり、関わってみると大好きなんだよ、子ども達の事が。

ブラック保育園では、それが出来ない。
不幸になる人が、どんどん増えるんですよ。

なぜ、あの時もっと保育園選び、職場選びに真剣にならなかったんだろう。
私が、ブラック保育園をひかなければ、つらい思いをする子どもも減っただろうし、私もこんな辛い思いをする事がなかった。

あなたが今できるのは、ブラック保育園から脱出できるように…
また、ブラック保育園を引かないために、1ミリでも、行動を始める事です。

ハロワは、自分の足で出向き、リターチしました。
就職サイトにもいろんな種類があって、自分でサーチするタイプのジョブメドレー や、
またはコンサルタントからの提案・案内を受けたい時の「保育ひろば」に登録するなど、の方法があります。
いろいろあるので、どこに登録するかはお好みで。
ハッキリ言って、保育士の転職サイトって、どこも満足度はどれも大差ありません。

ちなみに余談ですが、このブログの読者さんは、保育ひろばを使いました!って人がかなり多いです。
ただ、電話あまりかけてほしくない場合は、電話が少ないジョブメドレー使う人もいますね。
(私はコミュ障なので電話かかってくるとビビるタイプなんで、電話怖い人の気持ちはめっちゃわかります……)

もしあなたがブラックな保育園に勤めているのであれば、まず現状を客観的に見つめてください。
そしてあなたが一番いきいき仕事をしていくためには、どうしていけばいいか、行動してみてくださいね。

一緒に頑張って、いきましょう!

保育士の就活・転職の方法・流れをまとめた記事

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