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保育現場で今も続く『かして・いいよ信仰』|まだ「かして」「いいよ」って教えてるの?

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まだ「かーしーてー(棒)」「いーいーよー(棒)」って教えてるの?

大人に怒られないための、指示に従っただけの、表面上の言葉だけの「かして」「いいよ」ってやりとり。
それって、子どもを思考停止・指示待ちのマニュアル人間に育てる方法だよ。

大人の思いと裏腹に…「思いやり」が育たなくなっちゃうの。

\この記事で分かること/
  • 「行動」で教えることの危うさ
  • 「いやだ」の価値
  • まずは「じぶん」を満たすから、やさしさがあふれてくる
  • 思いやりは教えるものじゃなく、芽生えを待つもの
分かりやすく解説してるよ!
目次(タップで移動)

■いまだに保育現場に残る「かして・いいよ」信仰

  • 「かしてって言われたら、かしてあげようね」
  • 「貸せたね、えらいね」

こんなやりとり、今も保育の現場ではよく見かけます。
いまだに「かしてって言われたらかさなきゃいけない」と教えている先生も多い。

子ども同士のトラブルを防ぎたいという気持ち、思いやりを育てたいという願い。
そこにはもちろん大人の優しさもあると思うんだけど…

でも、ちょっと待って。

「かして」と言われたら「いいよ」と答えるのが「正解」という価値観。
これって、本当に子どもの気持ちを育てているのでしょうか?

むしろ、

  • 「貸す=いい子」
  • 「貸さない=わがまま」

という二元論が刷り込まれていないでしょうか。
それって本当に、子どもの育ちにつながっているのかなって。

私はそこに、ちょっとしたズレを感じてしまうんです。

■その「いい子」は、だれのためのいい子?見える行動に〇をつけても、見えない心は育たない

保育の現場や教育の現場では、いまだに「行動で見えるもの」が評価されやすいです。

  • 「かせた」
  • 「あやまれた」
  • 「順番をまてた」

こういう行動ができたら、つい「できた」に〇をつけたくなる。

でも、子どもが本当に思いやりをもってそうしているかは、わかりません。

  • 「先生にほめられたいから貸した」
  • 「先生に怒られたくないから謝った」

…もしかしたら、上記のように考えているのかも。

行動だけを教えると、「いい子に見える」子は育っても、「自分の気持ちを感じて、相手の気持ちも考える」力は育たない。

それどころか、

  • 「こうすれば怒られない」
  • 「先生が喜ぶからやる」

という「外の正解」を探す癖がついてしまう。

これらは行動の模倣。
気持ちの育ちでじゃない。

「できた」じゃなくて「従った」だけかもしれない。
「行動ができる=思いやりがある」ではないのです。

●「いやだ」と言える経験が、自己肯定の土台になる

「かして」と言われたとき。
いやなら「いやだ」と言っていいんです。

「かしてって言われたら、かさなきゃダメ」
そう教えると、子どもは「いや」と言えなくなる。
でも、「いやだ」は悪い言葉じゃありません。

大人としては、トラブルになるのを避けたくなる気持ちもあります。
でも、そこを乗り越えないと、本当の意味での「思いやり」や「やりとり」は生まれません。

「いやだ」って言えることは「自分の気持ちに正直である」こと。
自分の気持ちをちゃんと持っている証拠です。

自分の気持ちを守れる経験がある子は、
いつか他の人の気持ちも、ちゃんと守れるようになります。

「いやだ」を受け止めてもらうことが、「他人のいや」を理解する力になるんです。

■思いやりは「心の余白」から生まれるもの。「かさない子」も、心が育っている途中。

思いやりは「教えられる正解」じゃなくて「心の余白」から生まれる。
見える行動が思いやりではないんです。

自分の心が満たされて、はじめて他人の心に目が向く。
だからこそ、行動よりも気持ちの動きを大切に見ていたいんです。

例えば、子どもがひとつのおもちゃに夢中になって遊んでいるとき。
その時間は「所有」ではなく、「心の満足」に近いものです。

大人が「順番だよ」「ちょっと貸してあげて」と声をかけると、その体験の途中で、満足の芽を摘んでしまうことがあります。

子どもは、たっぷり遊んで満足したあとに、ようやく「まわりを見る余裕」が生まれてくる。
そこで、ふっと周囲に目を向けられるようになります。

その時、子どもは自然と相手の気持ちに気づくことができます。
ふと周りの子を見て「これいる?」って差し出すことがあるんです。

大人に言われたからじゃなく、自分の中から生まれた気づき。
これが、本当の「思いやり」だと思うんです。

大切なのは、行動に丸をつける保育ではなく、心の動きに寄り添う保育。
これが、子どもの「思いやり」を育てる土壌になります。

●大人のお節介が「心の育ち」を遠ざける

たくさんのおもちゃを集めて、一人で黙々と遊ぶ子。
他の子が欲しがっても、決して渡そうとしない子。

その様子だけを見ると「独り占めしてる」と思われがち。
大人としては、つい「分けてあげなさい」と声をかけたくなります。

でも、もう一段階深く掘り下げて考えてみると、その子の内側には…

  • 「今は誰とも共有したくない時間なのかもしれない」
  • 「他者の気配を入れずに、自分だけの満たされ方をしているのかもしれない」
  • 「自分だけの世界に、しばらく浸っていたい気持ちがあるのかもしれない」
  • 「いまはまだだれかと分かち合うより、自分で持っていることがその子にとっての安心なのかもしれない」
  • 「その子にとってはおもちゃを集めること自体が、気持ちを整理する手段なのかもしれない」

…そんな「心の根っこ」、切実な感情があるかも。

大人がその背景に気づかず、「思いやりを教えよう」と介入してしまうと、本当の意味での“気づき”は生まれません。

そこを見ずに「分けてあげて!」と無理に介入しても、その子の心には何も残りません。
むしろ、「取られる」「守らなきゃ」という不安が強くなるだけ。

大事なのは、心の余白。

まずは自分の気持ちが満たされないと、相手への気持ちに心が向くことはありません。
大人がよかれと考えたおせっかいが、心の育ちを遠回りさせて、逆効果になることもある。

■あつみ先生ならどうする?

私は「いやだ」と言えた子には、「そうだね、まだ遊びたいよね」と返します。

その気持ちを大人が受け止めてくれたとき、子どもは「自分を大事にしていいんだ」という感覚を育てていきます。
そうしてはじめて「相手のいやだ」も受け入れられるようになるのです。
自分が満たされる経験を繰り返していって、ようやく次に相手の気持ちに気づいていけるんです。

●「思いやり」は相手の存在を認めること

私は、ほしいおもちゃがある子には「かしてって言ってみようか」と促します。
でも、たいていは「いやだ」って言われちゃうんですよね。

そんな時は、おもちゃが欲しかった子に対して、「いやだって言ってるね。まだ遊びたいのかな」という事実と相手の気持ちだけを伝えます。

必要なのは、子ども同士の気持ちの橋渡し。
もちろん解決策や具体策も、必要に応じて提案はします。
でも、原則的に保育士が行うのは、気持ちの仲介、その部分のフォローです。

自分も「かしてほしい」って思いがある。
でも、人は自分の思い通りには動かないし、相手にもちゃんと「まだ遊びたい」って気持ちがある。
大事なのは、そこを伝えていくこと。

ここを乗り越えていくことで、本当の意味で、自分の気持ちの中に…

  • 他者との違いを認めながら、自分の気持ちを整理する力
  • 相手の存在ごと、世界を受け止めていく力
  • 自分の気持ちを見つめ直す力
  • 自分の中で“納得”できる場所を見つける力

が育ちます。

「待つ」というのは我慢じゃなく、相手の存在を認めること。
これができてこそ、本当の意味での「思いやり」が生まれます。

もちろんこのあと「ほかのおもちゃ一緒に探してみる?」「ほかの遊び、してみる?」「どうする?待ってみる?」という選択肢や提案は行います。

■本当の「思いやり」は、大人が信じて待つところから育つ

  • 「分けてあげなさい」
  • 「貸せたね、えらいね」

それ、本当にその子のためでしょうか。

私たち大人が「正解」へ誘導することで、子どもは「自分で考えるチャンス」を失っているかもしれません。

保育者ができることは、気づきを信じて待つこと。
保育者がすることは「教える」ではなく「気づく」ためのフォローや環境設定です。

子どもは、教えられて変わるんじゃなくて、気づいて変わります。
遊びたいおもちゃがあるけど、かしてくれない…
そのやりとりは、子どもが「人と関わる力」を育てているところなんです。

そんなリアルな育ちの場面を、

  • 「いいよっていうんだよ」
  • 「かせたね、えらいね」

って言って、奪いたくないって思う。

焦って気づかせようとすると、その子の「感じる力」まで奪ってしまう。
だから私は、子どもが自分のタイミングで「相手の気持ち」に気づくのを、ただそっと、待つようにしています。

「信じて待つ」というのは、何もしないことじゃなくて、子どもの内側で起こっている育ちを信じること。
そうやって見守る視点が、保育者にいちばん大事なんだと思います。

■思考停止のマニュアル保育から、考える保育へ

「かして」「いいよ」は、ただの言葉。
その言葉を使えるようになることがゴールじゃない。

思いやりは、教えるものじゃないし、表面上だけのいい子をつくる保育は、もう終わりにしたい。
これからは、一緒に考える保育の時代です。

「どうしていやなのか」
「どうしてかしたくなかったのか」

貸せる・貸せないよりも、その中でどんな気持ちが動いていたか。
それを見つけて、言葉にしていくこと。
その背景にある気持ちを、子どもが自分で気づけるようにすること。

そんなやりとりの中で、子どもは自分の心と人の心を、少しずつ行き来できるようになっていく。
マニュアル通りのいい子ではなく、人と本気で関わり合える、しなやかな子どもたちを育てていきたい。

正解を教えるより「考える力」を。
それが、自分の足で立って進んでいける子を育てる保育。

そのために、今日も「やりとりの途中」に寄り添い続けたいなって、思います。

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あつみ

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